2016年03月20日

感想文:『さよなら、シリアルキラー』

「伝説の猟奇殺人鬼から殺人の英才教育を受けたその息子が、その才能を使って父親の模倣犯と対決する」
プロット的に出来上がってるミステリーであり青春小説。
そう、この小説のなにが良いってちゃんと青春小説なのだ。

個人的に興味が深いアメリカの保守的片田舎が舞台なのも良し。しかもそれが主人公を取り巻く息苦しい「環境」として上手く機能している。
主人公の彼女は黒人で、それゆえ白人の主人公との関係を父親に反対される。それが、父親の影を背負う主人公の「血」の問題とクロスする構成がいい。
あと、親友の底抜けに明るい血友病患者。いわゆる「頼りにならない軽薄な相棒」なのだが、病気が病気なのでその「頼りにならなさ」は中々である。
しかしその二人が暗い出自に悩む主人公のはもちろんのこと、題材的にダークになりがちな作品全体のトーンを救っている。物語的に重くなったところでの、彼らの軽妙で粋な会話に、主人公だけでなく読み手の心もフッと解放される。決して珍しい手法ではないがその配置が上手い。会話のセンスも、俺は「クリス・タッカー的うるささ」を回避していると思う。たまにギリギリだったけど。
やっぱり青春小説は主人公パーティーが魅力的じゃないと。逆に言えば、それが素敵なら大体満足。
いや、ハウイーが本当にいいヤツなんだ。

主人公の出自は特殊過ぎるが、作品の中核は彼のアイデンティティ・クライシスと、そして超克。だから普遍性があるし、フィクショナブルな設定の割に人間関係の生々しさがある。
我々は、結局手持ちのカードで戦うしかない。ディーラーは不公平だから、望むカードは得られなかったり、持ちたくもないカードを握らされたりもする。
だけど、ただドローラックを嘆いているだけじゃ大人になれない。もともと少ない手札で勝負するしかないんだ、切りたくもない切り札を使わざるを得ないターンもやがて来る。そうしなきゃならない場面はきっと来る。
そのカードをどう使うか。その戦略が、自分を作る。配られたカードをどう使うか、プレイイングが自由意志だ。「使わされるか」「使うか」を選ぶのはあくまで自分なんだ。
そんな通過儀礼(イニシエーション)の物語という強い骨格があるから、「突飛な設定のジュヴナイル」って読後感はなかった。ちゃんと主人公の「成長」と「選択」を真正面から描いている青春小説で、更に「父親殺し」的、とてもアメリカ的な王道の物語作りをしてある。だから、設定のわりに重量感のあるエンターテイメントに仕上がっているのだと思う。

ま、そういう部分を「うるせえよ」って思う人もいるんだろうけど。俺はそういう「重み」を物語に求める。

ついでに気になるところもいくつか。
ヤングアダルト小説なので台詞回しやキャラクター造形が「それっぽい」のが鼻につくがそれはそういうものとしてご愛敬、でいい気がする。俺は『ハリー・ポッター』感があった。男2女1パーティーの配置の仕方、とか。主人公が「血」について鬱的に悩む、とか。ハリポタより構成上手いと思うけど。
ミステリーとしては謎解成分が薄めでラストステージの筈の犯人との直接対決パートもサラッとしている部分は気になった。三部作の一作目という部分はわかるが、カタルシスは弱いかな、と感じた。少なくともエンディングで彼女のコニーとのシーンは必要だったと思うし、なにより観たかったなあ。

ただあとシリーズは2冊、これは読んでしまうな。

だって、ハウイーが本当にいいヤツなんだ。
posted by 淺越岳人 at 02:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ラグランジュプロジェクト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。